流行したオペラ(歌劇)の俗称。
その多くは本格的な歌劇というよりは、もっと通俗的なものであった。
1916年(大正5)5月、アメリカ帰りのトゥダンサー高木徳子(とくこ)の一座が浅草キネマ倶楽部(クラブ)でダンス、楽劇などをもって2日間の興行をしたのがその始まりである。
通説ではこの高木が翌年2月に常盤(ときわ)座で新劇出身の伊庭孝(いばたかし)と組んで『女軍出征』(伊庭作)を上演して大当りをとったのが嚆矢(こうし)であるとされている。
この公演には、先に解散した帝劇歌劇部の残党である沢モリノ、小島洋々らが参加した。
のちにこの一座は歌舞劇協会と称した。
続いて三友館に東京少女歌劇団が進出。
さらに日本館に佐々紅華、沢モリノ、石井漠(ばく)らの東京歌劇座が旗揚げし、『女軍出征』とオペレッタ『カフェーの夜』を上演した。
この2作品の主題歌が巷(ちまた)に流行、これが浅草オペラ隆盛のきっかけになったが、そのほか女優たちの官能的な魅力も人気のもとであった。
シンセサイザーの中で和音を奏でる機能を有する機種に対する呼称。
シンセサイザーは、市場に出回り始めた当初(1960年代後半~1970年代前半)は、原則として「モノフォニック(単音)」の楽器だった。
通常のキーボードの場合、各鍵がそれぞれに対応した音源と連動しており、例えばピアノは鍵を叩くと対応したハンマーが動いて対応した弦を叩く構造となっている。
これに対して初期のシンセサイザーは、任意の鍵を弾くと、その音階に対応した制御用の電圧が音源部に送信されて音を発生させる仕組みであり、電圧制御の関係上、鍵の数とは関係なく基本的に単音しか発音出来なかった。
そのため、特にライブ演奏の場に於いては、シンセサイザー単体では音楽の3要素のひとつである「ハーモニー」を奏でる事が出来なかった。
1970年代の半ばから、和音を奏でる事が出来るシンセサイザーが序々に発表され始めたが、それ以後も単音楽器のシンセサイザーは存在した。
この為、和音を奏でることが出来るシンセサイザーを「ポリフォニックシンセサイザー」と呼び、これと対比する形で、単音のシンセサイザーを「モノフォニックシンセサイザー」と呼称するようになった。